行動し、考えるためのヒントについて

その1


 西暦2011年、平成23年3月11日に、東北地方太平洋沖で、大規模地震が発生しました。
 そのときから今に至るまでの経過と行動を振り返って、これからからどうするかを突き詰めて考えてみました。
 基本的な考え方は、被災者が生活を再建しようとするとき、食い扶持を稼ぐための雇用が確保されている社会を維持していくためには どうしたらよいのかというところにあります。


 3月11日午後2時半過ぎ、配達に行こうとして、倉庫で積み込みをしているとき、 地鳴りのような低い振動が来た。道の向かいで、電線の工事をしている車がどうか したのかと思っているうちに、建物全体が大きく揺れ始めた。鉄骨組みで屋根は軽いので心配なかったが、 そのうち母屋の屋根から瓦が飛び跳ねてきた。
とりあえず、家族はみな別状なかった。


 12日、友人の Y さんの消息がどうだったのか、彼の実家を訪ねてみる。とりあえず、大丈夫だと言う連絡があったとのこと。
彼は、現在、福島第一原発の耐震強化工事に従事していて、昨夏には、彼を訪ねて、いわき市から仙台まで常磐線を北上したのだった。


 13日、いわき市の公衆電話からだと言って、 Y さんから電話があった。避難所を転々として、何とかいわき市までたどり着いたとのこと。
とりあえず、無事を喜ぶ。


 14日、昼間、商工会へ行き、旧知の事務長に、計画停電対策として、地域で一体となって、自主的自発的総量規制の節電に取り組んで、 何とか停電をしなくてもすむような状況をつくることは出来ないか、相談する。彼が言うには、今、決算前で、まったく余裕がない。 月末の役員会の際に提案してみるくらいのことしか出来ないとのこと。
 夜、 Y さんがやっと帰宅できたと連絡がある。


 15日、近くにある大学の秘書室の N さんに電話をして、前日、商工会に提案した、計画停電対策として、地域で一体となって、 自主的自発的総量規制の節電に取り組むことについて、相談する。趣旨には賛成だけれど、大学のことは事務のほうで仕切っているからと、 総務課の連絡先を教えられる。総務課に電話すると、 Y 氏というのが出て、大学は関係しないと断られる。
 夕方、大学の卒業生の S 君にメールを送って、被災地に入ってみようと思うのだけれど、情報でも何でも協力してくれないかと依頼する。 折り返し、届いたメールは、驚くべきことに、地震当日、 N 川町立病院にいて、1時に仕事が終わり、戻ってくる途中で被災し、 やはり各地を転々とし、ようやく戻ってきたばかりだとのこと。




付記: S 君への手紙

  その1 (2011年3月15日 17:00)
S Y  様

内木 誠です。

被災地に入ってみようと思うのですが、
それなりの段取りを整えないと意味がないと思うので、
協力いただけますか?

ご連絡ください。

今回は、医療活動支援に目的を絞ろうと思います。

衛星電話を借りて、現地の通信手段を持たない医療活動拠点に届けられれば、
それが1箇所でも役に立つかなと思っています。

思いつくだけで、つてが何もないに等しいので、
情報やアイデアなど、なんでも欲しいです。

とりあえず、このメアドで良いのか、
ご返信ください。

どうぞよろしくお願いします。


水屋内木本店
ワインホーム 星に住む家
                内木 誠


  その2 (2011年3月15日 23:48)
内木 誠です。

詳細なご連絡ありがとうございます。

本当に間一髪でしたね。
ご苦労さまでした。

個人では動くつもりはないので、
というか、阪神大震災のときのように若くはないので、
出来ることが限られているのは充分承知です。

昨日、救急のドクターと立ち話をし、
大学としても情報不足が著しいことを聞きました。

物資に関しては、
今はあまり考えていません。
通信手段の確立、
現地の具体的情報の取得、
がその目的です。

行って帰ってくることだけでも、
意味はあると思っています。

車で行けるところまでは車で行き、
その後を徒歩で考えています。

ボランティアが連携が取れることが今一番重要だと思い、
そのためにも具体的な行動が必要だと思います。

とりあえず、相談相手と思い、
S 君にメールしました。
まさに、どんぴしゃでしたね。

当面一番の問題は、原発だと思います。

実は、地元の一番の友人が、
当の福島第一原発の耐震強化工事に参加していて、
一昨日、帰還したところでした。
原発の現況についても、
一般の人より冷静に判断できると思います。

そういうこともあって、
今、ボランティアがどういう連携が取れるかが大事な局面に来ているのだと思っています。
この未曾有の災害に対して、
どういうアクティブな行動が取れるか、
それを模索し具体的に実行することを通して、
新しい支援の形を創造することが必要だと思っています。

地元で言えば、
昨日から始まった計画停電に対して、
自主的自発的総量規制を実現することによって、
停電しなくてもすむような状況を作ることです。

具体的には、
まだまだ看板などを点灯している店舗に対して、
店外の照明を消してもらうこと。
代わりに、営業中と一目で分かる旗を商工会などで作成し配布すること。

一つひとつの自治会を通して、
各戸の節電の徹底を図ること。
暖房便座、家電の待機電力など余地はあると思います。

こうした、具体的活動を踏まえたうえで、
地元の自治体を通して、
地域の停電解除を東電に求めて実現していくこと。

どんな大きな組織であってもその組織単独では限界があると思います。

計画停電は、東電単独の判断としてはやむをえないと思いますが、
東電だけの責任にしないで協力していくことは出来ると思っています。

募金も必要と思いますが、
それ以上に社会活動を円滑に維持し、
産業活動を停滞させずに発展させていくことが今一番に求められています。

「ボランティア」を阪神大震災の時よりもっと深化させる必要があると確信しているのです。


・・・(中略)・・・
今年は歩く、
というのが年頭の感慨です。

理由がないのでしませんが、
今から東京まで歩いて行こうと思えば行きます。

日本列島どこまでも歩いていけるという感覚はあります。

ぼくの車はディーゼル車なので、
帰って来るまでの燃料をポリタンクに搭載して、
行って帰ってくることは出来ます。
食料にしても同様です。
トイレだけは無理ですが。


組織についてですが、
現下の急務である原発に対して、
場合によっては、生還を期せない鎮圧隊を編成する必要があると思っています。
急遽編成で熟練度が低くても、覚悟の出来ている集団の方が、
熟練度は高くても、覚悟のあやふやな部隊より使えると確信しています。

言葉の正しい意味での「ボランティア」です。

当面の東北地方に限らず、
はるかに小規模でも直下型の地震が到来する可能性はどこにでもあります。

今一番求められているのは、気持ちを立て直すことです。

「募金」よって出来ないのは、何よりそのことなのです。

> 以上、参考になりますでしょうか。
漠然とした形で考えたことについて、
まず、貴君に相談して大正解でした。

どういうところが足りなく、
どういうところに意義があるか、
いっそうはっきりしました。

未曾有の事態に対しては、
多方面にわたる、新しい方法が求められているのだと思います。

参加する余地は大いにありそうです。

お疲れのところ、
詳しいメール、ありがとうございました。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

P.S. 明日から、地元で行動していこうと思います。 それでは、また。


その3 (2011年3月19日 7:30)
内木 誠です。

至急です。

このメールを確認し次第、
添付メール中の、
*********** ここから **************

*********** ここまで **************
の間の内容を、
S 君の知っている範囲の方々にメールしていただけますか?

無理を言ってすみません。

どうぞよろしくお願いします。


さて、私見です。

今回の事態の中で、
自然災害等の不可抗力のところを除いて言えば、
端的に言って、それはプロのおごりが著しいことです。

阪神大震災から、
中越地震を経て、
ここにいたるまでに、
災害のプロとでも言える層が形成されてきました。
目下の政府の政策は、これらのプロのおごりによって、
著しくゆがめられています。

・・・(中略)・・・
この S 君の正直なアドバイスの中に、
もはや固定観念に近いまでの通念となったプロのおごりが端的に現れています。

現実はどうかというと、
「日赤の方の談として、震災当日に医療班を派遣したものの、
そこに臨時の診療所が開設されていることすら分かってもらえない状況だとのことです」
(添付メール内の私の記述です)
店を開いたものの客は誰も来ない閑古鳥が目下の状況です。

一般のボランティアを排除して、プロの私たちが行けば何とかなると思っている
プロのおごりがこの結果です。
通信手段が崩壊した状況の中で、
人から人へ、口コミで伝えていくボランティアの役割は優れてメディアです。

阪神大震災での支援活動の経験を通して言えば、
救助活動で一番大きな役割を果たしたのは、
そのときその場に居合わせた普通の人々です。
同じように被災しながら、
ほかの人に手を差し伸べるだけの余力を持っていた普通の人々が
救助活動の最大の担い手でした。

今回、その初動において排除された一般ボランティアは、
自衛隊や各医療チームが太い血管であるとすれば、
隅々にまでその血流を伝える毛細血管であり、
自衛隊や各医療チームをひとつの装置として見れば、
その力を円滑に働かせる潤滑油のようなものです。

その意味で、
添付メールで取り上げた I 医師の役割は極めて象徴的なものがあります。
彼は医師として患者が来るのをただ待っているのではなく、
被災者の真っ只中に、
しかも専門の小児科医としてではなく、
一災害ボランティアとして踏みとどまっているのです。

彼の立ち位置は極めて重要です。

合理的に見れば、
一見するところ、
専門家としての責任放棄にも見えます。
それらの人々(身寄りのない要介護のご老人)は誰かに任せて、
専門の子供たちをもっと見てやるべきではないか。
一刻も早くそこを離れて、医療機関の中で活躍すべきではないか。
あるいは、大変な思いをしたのだから、
まずは家族のもとへ帰ってやるべきではないか、と。

「まだ帰ることはできない」

彼のその決意の行方をぼくは見守って行きたいと思います。

それにしても、
現地での、ごく普通のボランティアの不足は、
間違いなく人災です。


翻って言えば、
スーパーの空っぽの棚や、
ガソリンスタンドの手前に並ぶ長蛇の列について、
マスコミに乗ぜられて嘆く必要はまったくありません。
誰かが困っているのですか?

限りあるものを奪い合っているのですか?

そんなことはありません。
品物が無くなることはないことはみんな知っています。
ただ不安なのです。
この不安を押さえつけてもまったく無意味です。
ただほうって置けばいいのです。

被災地について言えば、
通信手段が崩壊し、
道路は各所で寸断されている。
そんなところで、どこで誰が何を必要としているのか、
どうしてそれが分かるでしょう。

自衛隊は、その活動において得た知識を外には出しません。
医療チームにおいてもしかりです。

一般論としてではなく、
かかわるところの相手に対して、
具体的な手立てを構築しなければなりませんが、
マスコミの情報は、まさにこの具体的な手立てを決定的に欠いています。
その埋め合わせが、「募金」です。

復興はどのようにして成るか分かりますか?

被災した方々が自ら立ち上がろうとしたとき、
食い扶持を稼げる手立てがあるかどうかです。
その手立てを提供できるかどうかです。

一時金(その原資が募金です)がどんなにあろうと、
職がまったく見つからない世の中ではどうにも成りません。
この春、就職できない人々が9万人に及ぶとの報道がありました。

新卒者にしてこのとおりです。

急激に消費を抑制し、
募金額だけが膨らんでいくとしたらどうなりますか?

極論を言えば、
募金額がまったく集まらずとも、
何年か後においても、経済は活気があり、
働き口がしっかり確保できるなら、
復興は必ずなります。

その逆であるなら、このまま衰退の一途です。

目下の最大の危険は、
節電と節約とを直結しがちな、
はっきり言えば、横着な思考にあります。

節電、正確に言えば、ピーク時の電力量を抑えることは、
誰もが取り組まねばならない最重要の課題です。

計画停電という名の、
経済活動に対する破壊行為を一刻も早く止めなければなりません。

> 内の病院は月曜日から節約モードに入り暖房を切ってしまったため
> かぜ引きそうになっていますが。。。。。
生命に危険を及ぼさないところでの(電気による)暖房の停止は、
最も効果的な方法のひとつだと思います。
電気代を減らすのが目的ではないと思うので、
「節約」と言うにはあたらないと思います。

妊婦さん、乳児、病人、高齢者、普段から体の弱い人、
これらの人々以外のところではエアコンは停止するしかないと思います。

テレビのアナウンサーが、コートを羽織り、
襟巻きをして仕事をするようでなければ、
まだまだ本気ではありません。

どんなに繰り返しても足りませんが、
これは節約とはまったく無関係な事柄で、
むしろ、全力発揮のような最大限に努力しなければならない事柄なのです。

現代のコンピューター社会において、
「停電」はそれだけで破壊的です。
経済を立て直す大前提として、
計画停電を起こさない状況を作る必要があるのです。
それはとりもなおさず、復興の必須条件でもあります。

季節要因だけで、
計画停電が無くなるのなら、
おそらく復興は難しいでしょう。


阪神大震災での支援活動の中での経験ですが、
最初は打ちのめされて、
身の回りのことすら他人の援助に頼るしかなかった被災者が、
自分たちはこうしたい、
という主張を持ってボランティアと衝突するようになって行きました。

そのとき、健全なエゴイズム、
という言葉がふと脳裏に浮かんできました。
エゴイズムは優れて健全である。
この感覚は、その時も今も
みずみずしくぼくの胸にあります。


S Y 様

        3月19日朝
                  内木 誠



戻る