16年前の阪神大震災からこの方、いつしかボランティアは、行政にとって、非正規雇用者以下の存在のようにみなされている。
まず、次の発言を取り上げてみたい。今、この時代を覆っている典型的な意識の桎梏である。
「忘れてならないのは、ボランティアは食料や衣服、就寝場所などすべてを自前で確保する『自己完結型』が鉄則ということだ」
リンク
ボランティア 善意が生きる場を作りたい(3月28日付・読売社説)
(記事の内容)
(折りたたむ)
被災地の避難所で、不便な生活を強いられる住民たちを見て、少しでも役に立ちたいと思った人が多いのだろう。
ボランティア志願者が急増している。善意を生かして被災者の生活再建につなげたい。
東日本巨大地震の被災地には、過去の大災害でボランティア経験がある100以上の民間活動団体から先遣隊が送り込まれ、
第2、第3陣がこれに続いている。
宮城県石巻市の災害ボランティアセンターは累計で約600人を受け入れた。支援物資の仕分けなどに当たってもらっている。
センターは、地元の社会福祉協議会が作る受け入れ窓口だ。被災地が必要とする物資や作業の情報を集めて発信し、
要請に応えられるボランティアを素早く集める役割を担っている。
被害が甚大で、センターの設置さえできない地域もあった。他県からの応援部隊の力も借り、少しずつ受け皿整備は進んでいる。
仕事は医療など専門知識が要るものから、瓦礫(がれき)撤去、炊き出し、雑用など幅広い。地域事情を丁寧に説明し、
仕事内容を具体的に教えることが活動を円滑にする。
忘れてならないのは、ボランティアは食料や衣服、就寝場所などすべてを自前で確保する「自己完結型」が鉄則ということだ。
経験豊かなボランティア団体は即戦力になるが、未経験者が個人で被災地に入ってトラブルになることは避けなければならない。
道路事情の悪さや燃料不足もあり、今も受け入れるボランティアを地元住民に限っている地域もある。
これから現地に行こうと考えている人は、事前に十分な情報を集めることが何より大事だ。
被災者が他県に集団で避難する例が増えている。
福島県双葉町民の一時避難先となったさいたま市の施設では、1000人のボランティアが被災者を迎えた。
その後も連日、数百人が世話役を買って出た。
今後、被災者の「疎開」先でのきめ細かい支援も、ボランティアの重要な仕事になるだろう。
阪神大震災では、最初の2か月で延べ100万人ものボランティアが活動した。期間は最終的に4年を超えた。
今回は、人数も年数もこれを大きく上回るだろう。息の長い支援活動が求められる。
ボランティア休暇制度を使って組織的な派遣を検討する企業も出始めた。
物資の輸送費や交通費などボランティア団体の活動資金を支援しようという企業もある。
この動きをさらに広げたい。
(2011年3月28日01時16分 読売新聞)
素朴な疑問なんだが、いつからこれが「鉄則」なんだろう。
そんなに古い話ではないと思う。私は田舎住まいだが、どこかで災害があれば駆けつける。一段落して、周囲の人々の炊き出しがある。
おおむね、その属する地域の人々や親類などが用意するのだが、取るものもとりあえず駆けつけて手助けしてくれた人に、「自己完結型」などと
いうへちまもない。握り飯なりが振舞われる。「鉄則」というのはこのあたりを言うのではないだろうか?
実地に経験したから言うのだが、3月21日午前8時から22日午前0時までの16時間、そのうち石巻方面にいた5時間ほどを除いて、
ほぼ11時間、私は東北自動車道にいた。トイレ休憩などがトータル2時間として、往きに4時間帰りに5時間、およそ9時間ほどを、
東北自動車道を走っていた。トップスピードは 70~80km/h ほどだったから、平均スピードはさらに遅い。この行程の半分ほどを、
ただ一台で走っていた。残りの半分は、後ろから次第に近づいてきて、追い越され、前方の視界から消える。しばらく一人で走り続けると、
後方からまた・・・、この繰り返しだった。
22日の午前1時に自宅に戻り、休息の後、疲れも取れてから、体をよじり切られるような苦痛が感じられてきた。比喩でよい。
東北自動車道が東北地方の大動脈であり、私の車が一滴の血液だとしたら、その仮定が私を苦しめたからだ。この状況を知ってなお、
なすすべないわが身を苛んだからだ。24日に一般車両の通行が可能になったことを知って、おのずとそれは治まった。
行動しなければ分からない。その先の角を曲がらなければ見えてこない光景というものがある。そしてその上で言うのだが、
この、「自己完結型」とやらが、今この国の人々を萎縮させ、自縄自縛に陥らせ、とどまるところを知らない袋小路に追い込んでいる
最大の害悪の出どころなのだ。
顔を上げよう。前を向こう。そしてそのおもむくところに真っ直ぐに向かおう。
募金は、身動きできぬところにあるなら別だが、善意の表明ではあっても、行為の留保に等しいところがある。
リンク
過去最高の義援金 配分難しく - 国内(3月27日(日)産経新聞)
(記事の内容)
(折りたたむ)
東日本大震災の被災者に向けて全国から多額の義援金が寄せられる一方、配分の見通しが立っていない。
被災地が広範囲に渡る上、被害の全容が見えてこないためだ。
「今回は阪神大震災の2倍以上のペースで善意が寄せられている」
日本赤十字社(東京)の担当者はそう話す。
平成7年1月17日に発生した阪神大震災では発生2週間で日赤に義援金約164億円が集まった。
一方、東日本大震災では25日までに、これを大幅に上回る約401億円もの善意が寄せられた。
通常、日赤や「赤い羽根共同募金」で知られる中央共同募金会などに集まった義援金は、
被災した都道府県が設置する「義援金配分委員会」に全額渡される。
委員会には市町村や日赤なども加わって分配対象や金額を検討し、被災者に行き渡るようにするという。
兵庫県によると、阪神大震災では発生1週間で同県が設置した配分委員会に大阪府の被災自治体も参加。
発生から半月後には第1次配分として、死者・行方不明者1人当たり10万円の見舞金を家族に配布した。
一方、東日本大震災で、配分委員会を立ち上げた自治体はまだない。
被災の全容が分からず、配分を決められないためだ。宮城県社会福祉課は「なるべく早く被災者の元に届けたいが、
公平に渡すことも重要。把握できない被害もあり、今分かっている方々だけに渡すのは難しいことも理解してほしい」という。
被災地が広範囲にわたっていることも問題を複雑にしている。20年6月の岩手・宮城内陸地震では、
両県がそれぞれ委員会を立ち上げ、義援金は被害状況に応じて両委員会に渡された。
ただ、今回は被害が甚大な岩手、宮城、福島の3県以外にも、被災者が複数の道県にまたがっている。
ある自治体の担当者は「被害が甚大な3県が協力、調整して委員会を立ち上げ、そこに他県の自治体が参加し、
義援金を受け取る方向で調整が進められている」と話している。
義援金の配分額は、寄せられた金額と被災者の規模によって変わる。
阪神大震災では約1793億円の義援金が集まったが、被災世帯が多かったため、1世帯当たりの平均は約40万円の配分にとどまった。
これに対し、16年の新潟県中越地震は約216万円、2年の雲仙・普賢岳(長崎)の噴火災害では約3219万円が渡されている。
【関連記事】
・義援金466億円超、阪神上回り過去最高ペース
・写真とメールが物語る 黙して語らぬ自衛隊員の姿
・松坂が100万ドル寄付 岡島ら3投手も
・「これが現実だよ…」国会議員らを襲った悲劇
・原発の津波対策を緊急実施 東北電力
最終更新:3月27日(日)23時11分
産経新聞
リンク
日赤への義援金594億円…配分には時間(毎日新聞2011年3月30日)
(記事の内容)
(折りたたむ)
日本赤十字社は30日、東日本大震災の被災者のために取りまとめている義援金が594億円に達したと発表した。
発生後15日間で160億円余が集まった95年の阪神大震災時を大きく上回る過去最高ペース。
一方で、被害が広範囲にわたり、全容が把握できていないことから、配分を検討する委員会の設置などは未定で、
被災者の元に届くにはもう少し時間がかかりそうだ。
日赤への義援金は、29日現在で594億2128万4898円。
「赤い羽根共同募金」で知られる中央共同募金会にも、90億1284万9473円(25日現在)が寄せられた。
厚生労働省などによると、災害義援金は、国の防災基本計画に基づき、被災した地方公共団体が日赤などと配分委員会を結成。
阪神大震災では、発生8日後に委員会が設置され、約2週間後、死者や行方不明者の家族に見舞金10万円など1次配分が行われた。
今回は、被害が東日本各地に広がっていることから、12日に地震が発生した長野県なども含め10都県で委員会を設置する案も浮上。一方、義援金の使用計画の基となる被害の全容把握が難航している。
被害が集中している県の担当者からは「被害が把握できない地域もあり、単純な割り算ではうまくいかない」(岩手県)などとの苦慮する声が聞かれ、宮城県の担当者は「日赤などが中央で各県共通の基準を決めて対応した方が良いという話も出ている」と語る。厚労省社会・援護局総務課は「まだ、救援活動で手いっぱいという県もある。何とか早く善意を届けられるようにしたい」としている。【曽田拓、松谷譲二、平野光芳】
どうしたらいいのかは、常にその時自分自身で答えを出さなければならない問いかけなのだが、
ともに同じところにいると感じるのであれば、誰かしらが面てを上げ、しっかり前を向こうとするとき、
ここにつづるいくつかの言葉が、行動し、考えるヒントになればと思う。
優先と独占と
道路を車で走っていて、サイレン音が聞こえてくれば、どの方角からかを確認しながら徐行し、車を脇に寄せる。これが優先で、
誰も疑問は持たないし、異存もない。
では、独占とは?
人に聞こうにも聞きようがなく、調べようにも調べようがないのだが、
今回の災害対策は、官僚と災害専門家が事前に策定した対策計画にのっとり、
地震発生とともに発動し、それらの官僚や専門家の主導によって今に至っているのだと思う。
個々の政治家が、これらの対策の全容を把握し、逐一指示を出しているとは到底思えない。
官邸すら、例外ではない。
では、その対策は妥当かどうか?
たたき台になったのは、阪神大震災や中越地震などだと思うが、それらと決定的に異なるところがある。
今回の災害は、地震そのものによる被害より圧倒的に津波によるものであることは明らかだが、
事前の対策がそれを想定していたとは到底思えない。
だとしたら、その対策はその最初から当を得ていなかったことになる。どこがだろうか?
地震による建物の倒壊と違い、津波の場合は、助かると助からないとの差は歴然としている。
その違いは、紙一重の差であっても、助かる人は助かっていたのだ。次々に負傷者が運び込まれる、そういう事態は起こらなかった。
地震発生直後に被災地に入った医療チームのところにほとんど患者が来なかったのは、そういうわけがあったのだろう。
それどころか、まったく予想もつかない新たな危機が到来したのが発覚した。
震災対策ではなく、原子力行政についての記事だが、内部からの証言として示唆に富む。
リンク
佐藤栄佐久・前福島県知事が告発 「国民を欺いた国の責任をただせ」(週刊朝日3月30日配信)
(記事の内容)
(折りたたむ)
福島第一原子力発電所の事故は周辺の土壌や海水からも大量の放射能が検出され、世界を震撼させる事態となっている。原発の安全性に疑問を持ち、一時は東京電力の原子炉17基をすべて運転停止に追い込んだこともある佐藤栄佐久・前福島県知事(71)はこう憤る。「諸悪の根源」は経済産業省であり国だ──。
今回の事故の報道を見るたびに、怒りがこみ上げてきます。一部の識者は「想定外の事態だ。これは天災だ」というような発言をしていましたが、だまされてはいけません。これは、起こるべくして起こった事故、すなわち“人災”なのです。
私は福島県知事時代、再三にわたって情報を改ざん・隠蔽する東電と、本来はそれを監視・指導しなければならない立場にありながら一体となっていた経済産業省に対し、「事故情報を含む透明性の確保」と「原発立地県の権限確保」を求めて闘ってきました。しかし、報道を見る限り、その体質は今もまったく変わっていないように思います。
端然とした表情で語る佐藤氏の自宅は福島県郡山市内にある。地震から2週間以上経過した今も石塀は倒れたままになっているなど、爪痕が生々しく残る。もともとは原発推進論者だったという佐藤氏が日本の原子力政策に疑問を抱き始めたのは、知事に就任した翌年の1989年のことだった。
この年の1月6日、福島第二原発の3号機で原子炉の再循環ポンプ内に部品が脱落するという事故が起きていたことが発覚しました。しかし、東電は前年暮れから、異常発生を知らせる警報が鳴っていたにもかかわらず運転を続けていたうえに、その事実を隠していました。県や地元市町村に情報が入ったのはいちばん最後だったのです。
いち早く情報が必要なのは地元のはずなのに、なぜこのようなことがまかり通るのか。私は副知事を通じ、経産省(当時は通商産業省)に猛抗議をしましたが、まったく反応しませんでした。
日本の原子力政策は、大多数の国会議員には触れることのできない内閣の専権事項となっています。担当大臣すら実質的には役所にコントロールされている。つまり、経産省や内閣府の原子力委員会など“原子力村の人々”が政策の方向性を事実上すべて決め、政治家だけではなく原発を抱える地方自治体には何の権限も与えられていないのです。
国や電力会社は原発に関して、地元自治体を「蚊帳の外」にしただけではないという。佐藤氏が「8・29」と呼ぶ事件がある。2002年8月29日、原子力安全・保安院から福島県庁に「福島第一原発と第二原発で、原子炉の故障やひび割れを隠すため、東電が点検記録を長年にわたってごまかしていた」という恐るべき内容が書かれた内部告発のファクスが届いたのだ。
私はすぐに、部下に調査を命じました。だが、後になって、保安院がこの告発を2年も前に受けていながら何の調査もしなかったうえに、告発の内容を当事者である東電に横流ししていたことがわかったのです。
私の怒りは頂点に達しました。これでは警察と泥棒が一緒にいるようなものではないか。それまで、東電と国は「同じ穴のムジナ」だと思っていましたが、本当の「ムジナ」は電力会社の奥に隠れて、決して表に出てこない経産省であり、国だったのです。
この事件で、東電は当時の社長以下、幹部5人が責任をとって辞任し、03年4月には、東電が持つすべての原子炉(福島県内10基、新潟県内7基)で運転の停止を余儀なくされました。
しかし、保安院、経産省ともに何の処分も受けず、責任をとることもありませんでした。
それどころか、福島第一原発の所在地である双葉郡に経産省の課長がやってきて、「原発は絶対安全です」というパンフレットを全戸に配り、原発の安全性を訴えたのです。なんという厚顔さでしょうか。
今回の事故でも、記者会見に出て頭を下げるのは東電や、事情がよくわかっていないように見える保安院の審議官だけ。あれほど、「安全だ」と原発を推進してきた“本丸”は、またも顔を出さずに逃げ回っています。
さらに、佐藤氏は3月14日に水素爆発を起こした福島第一原発3号機で、「プルサーマル」が行われていたことに対し、大きな危機感を持っているという。
なぜメディアはこの問題を大きく報じないのでしょうか。「プルサーマル」とは、使用済み燃料から取り出したプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を使う原子力発電の方法で、ウラン資源を輸入に頼る日本にとって、核燃料サイクル計画の柱となっています。
これに対して私は98年、MOX燃料の品質管理の徹底をはじめ四つの条件をつけて一度は了解しました。
しかし、判断を変え、3年後に受け入れ拒否を表明することになりました。
福島第一とともにプルサーマルの導入が決まっていた福井県の高浜原発で、使用予定のMOX燃料にデータ改ざんがあったと明らかになったからです。
そして、核燃料サイクル計画には大きな欠陥があります。青森県六ケ所村にある使用済み燃料の再処理工場は、これまでに故障と完成延期を繰り返しており、本格運転のメドがたっていません。この工場が操業しない限り、福島は行き場のない使用済み燃料を原子炉内のプールに抱えたままになってしまう。今回の事故でも、3号機でプールが損傷した疑いがあります。これからも、この危険が残り続けるのです。
昨年8月、佐藤雄平・現福島県知事はプルサーマルの受け入れを表明し、30日には県議会もこの判断を尊重するとの見解をまとめました。このニュースは県内でも大きく報じられましたが、その直後、まるで見計らったかのように、六ケ所村の再処理工場が2年間という長期にわたる18回目の完成延期を表明したことは、どれだけ知られているでしょうか。
福島第一原発の事故で、首都圏は計画停電を強いられる事態となっています。石原慎太郎・東京都知事は00年4月、日本原子力産業会議の年次大会で、「東京湾に原発をつくってもらっても構わない」と発言しましたが、この事態を見ても、同じことを言うのでしょうか。
私は06年に県発注のダム工事をめぐり、収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されました。控訴審では「収賄額はゼロ」という不思議な判決が出され、現在も冤罪を訴えて闘っている最中です。その経験から言うと、特捜部と原子力村の人々は非常に似ています。特捜部は、自らのつくった事件の構図をメディアにリークすることで、私が犯罪者であるという印象を世の中に与え続けました。
今回の事故も重要な情報を隠蔽、管理することで国民を欺いてきたと言えるでしょう。今こそ国の責任をただすべきときです。 (構成 本誌・大貫聡子)
さとう・えいさく 1939年、福島県郡山市生まれ。東京大学法学部卒業後、88年に福島県知事に初当選。06年、収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。09年、一審に続き、控訴審でも懲役2年(執行猶予4年)の有罪判決が出されたが、「収賄額はゼロ」と認定され、実質上の無罪判決となった。現在、上告中。著書に『知事抹殺』(平凡社)がある
ボランティアセンター???
リンク
県外ボランティア「まだ無理」岩手(毎日新聞 3月31日(木)19時58分)
(記事の内容)
(折りたたむ)
東日本大震災から3週間になるが、岩手県内の沿岸市町村の災害ボランティアセンター(VC)は
県外からの個人ボランティアについて「原則受け入れない」という姿勢を31日現在変えていない。
燃料・食料不足や被災地の危険さなどが理由だ。
延べ約137万人が活躍した阪神大震災以降、被災地でのボランティアの姿は普通になった。
「ボランティアの力は必要だ」との声はあり、受け入れ開始が待たれている。
県内の災害VCは24日までに遠野、宮古、久慈3市を拠点とし、14市町村にボランティアが入る仕組みを整えた。
炊き出し、支援物資の仕分け、足湯ボランティアなどに延べ8501人(30日現在)が従事したが、ほとんどは岩手県民だ。
県災害VCを運営する岩手県社会福祉協議会のホームページでは23日付の「おしらせ」で、
沿岸市町村の災害VCごとに「現地の混乱を招く恐れがありますので、県外からの訪問はご遠慮ください」と告知している。
県や県社協によると被災地は燃料、食料、宿泊場所が不足し通信状態もまだ悪い。がれきも多く危険だ。
活動拠点を自力で設け、車と燃料を用意して、31日から県内に入った団体はあるが「多くの人を受け入れられる状態にない」という。
県社協には1日に100件以上の問い合わせがあり、担当者は「状況が改善するまで待ってもらっている」と話す。
一方、宮城、福島県は部分的ながら受け入れが進む。
宮城県は28日ごろから受け入れ、比較的被害が小さかった地域で家財道具や泥の片づけといったニーズが増えてきたためだという。
30日に結成された東日本大震災支援全国ネットワークの栗田暢之(のぶゆき)代表世話人は「今は準備期間と受け止めているが、
ボランティアは必要だ。現地に入るタイミングを調整したい」と話す。
【清藤天】
この記事を鵜呑みにするほどの愚鈍な神経はさすがに私にはない。
いたるところにあるボランティアセンターとやらは、はっきり言えば、ボランティアとは縁もゆかりもない。なにしろそれは震災前から用意されていたのだから。
疑問だろうか?
本物の、こう断りを入れなければならない悲劇が今回の大悲劇にはいたるところ付きまとっている。
本物のボランティアであれば、手が足りなくなったら、今受け付けに来た初対面の者でも、これは使えると見れば、
「ちょっと、あんた、こっち側へ来て。ここの受付君に任せた。頼む」 これだけで済む。
では、なぜこれが出来ないか?身分制度が邪魔をしているからである。
彼は、まかり間違ってもボランティアではない。給料も、ボーナスも、退職金も、さらに年金も保証されてそこにいるのである。
超過勤務手当てだって期待できる。したがって、この地位をやすやすと取って代わってもらっては困るのである。
もとより地元住民のためなら仕方がない。だが、よそから来たもののために、これ以上忙しくなってはたまらないのである。
誰が、これを非難できようか?
非難すまいとは思うが、ボランティアの名は騙らないで欲しい。もとより「ボランティア」と、「センター」とは相容れない。
ボランティアセンターとは、形容矛盾なのだよ、お役人さん。
"deracinement" (根こそぎ引き抜かれること)
今回、こういう活動が、きっぱり切り捨てられている。
今回の当初の行動計画を作成したもの・それを支持するものにとって、こういう活動は邪魔な活動以外のなにものでもないのだろう。
リンク
〈伝えたい―阪神から〉型はまらぬ支援を
(記事の内容)
(折りたたむ)
■村井雅清さん(60) 被災地NGO恊働センター代表
自らの手で日常を取り戻していくことを、私たちは「恢復(かいふく)力」と言っている。被災者が自立し、再建途上に関わること。阪神大震災から16年、これが一番大事なのではないかと感じている。
これまで20カ国・地域で災害ボランティアをしてきたが、昨年1月のハイチがいい例だ。避難所へ行くとテントが閉まっていた。みんな働いている。元々露天商の盛んな地域だが、自分らで稼いで物を買い、日常を取り戻そうとしていた。今までにない経験だった。
3月25日に岩手県遠野市へ入り、足湯の提供や横断的なボランティア組織「遠野まごころネット」の立ち上げに関わった。現地で伝えた、支援物資のタオルをゾウの形に縫い上げて、1個400円で売る「まけないぞう」は、神戸の仮設住宅のおばあちゃんのアイデアで始まったものだ。
作り方を教えると、みなすぐに覚えてくれた。必ず器用な人がいて、翌日には新しく来て作り方を知らないボランティアに教えている。支援される側が教える立場になり、被災者の表情に輝きが戻る。
僕らがするのはこういった自立支援。ただ、発生当初はボランティアの素人は現地へ行かないほうがいいという空気があった。岩手県社会福祉協議会も、今月に入るまで県外ボランティアを受け付けなかった。でも、僕は「どんどん行ったらいいやん」という意見だった。
阪神大震災では138万人がボランティアをしたとされる。うち100万人は2カ月間に駆けつけ、しかも7割は初心者だったという。被災者に寄り添えるのはボランティア。それも型破りな力のあるボランティアほど一人ひとりを見守ることができるはず。1月に出した講演録の題も「不良ボランティアが社会を変える」。僕らも行政も型にはまってはいけないのです。
阪神大震災で、僕らは自転車隊を作り神戸市兵庫区内の仮設住宅を回っていた。ある日、「住宅団地の入り口で倒れているおっちゃんがいる」と電話があった。現場へ向かうと同時に区役所へ連絡した。そうしたら、「その人は何歳ですか」と担当者が言う。そんなことは関係ないはずなのに、「要支援者は65歳以上となっていますから」というわけだ。
そんなマニュアル通りの対応をしている以上、大災害に対応はできない。型どおりに動くことがネックになるということを知ってほしい。大切なのは、いかに被災者に寄り添うか考えることなのです。(聞き手・谷辺晃子)
地縁
人のつながりのある地域、また、その地域における人のつながり。ここでは、さしあたり、これを地縁と呼ぶことにしよう。
地縁がしっかり息づいているところなど、もうどこにもないのだから、地縁をあてにするとしたら、再構築というよりは、新築するより他はないのだろう。
復興の、その先にあるところへ思いをいたすこと。そこのところからして、今を照らしてみること。
巨費を投じて安閑としているよりは、1円もかけずに避難訓練を徹底したほうが生存率は格段に向上する。
これは今回の悲劇から得られた貴重な教訓だ。そして、この教訓が困る手合いが必ずいる。
「地縁がしっかり息づいているところはどこにもない」と書いたのだが、これは即座に改めよう。
リンク
苦悩の内陸避難 想定9500人、移動1割(毎日新聞4月4日0時4分)
(記事の内容)
(折りたたむ)
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県の沿岸部から内陸部へ被災者を移す集団避難で、実際に移動した人は3日現在、県の想定の1割未満にとどまっている。厳しい避難生活が長期化する中、被災者の健康などを考えた異例の取り組みだが、避難所へ戻る人すら出始めた。地域コミュニティーを離れることへの抵抗感は強く、県は「少しでも条件のよい所で過ごしてほしいのだが」と戸惑い、避難対策の難しさが浮かぶ。宮城県南三陸町でも3日、約1000人が県内3市1町へ移る集団避難が始まった。
岩手県は、内陸部の盛岡市や一関市などの宿泊施設に9500人分の部屋を確保。これまでに沿岸部の被災地から計2回、バスによる移送を行ったが、移動したのは約900人にとどまっている。
宮古市の避難所で暮らす73歳の女性は「地域の人は家族。離ればなれになりたくない。みんな一緒に動くならいいのだが」。宮古市の75歳の女性も「つらい」と言いつつ、地元での避難所生活を選んだ。震災後、家の中に他人の足跡が残っていたこともあり「心配で離れられない」。
県によると、移動を希望しても直前で取りやめるケースも少なくない。26日の第1陣の希望者は釜石市、大槌町、山田町の3市町で460人いたが、直前に約3割がキャンセルし、移動したのは296人だった。30日の第2陣もほぼ同様。避難所生活の長期化に苦しむのに、「離れたくない」という揺れる心情が透けて見える。
一方、約230人が避難する雫石町の鶯宿(おうしゅく)温泉。山田町の漁師(63)は「本当にありがたい」と、風呂上がりのほてった顔に笑みを浮かべた。個室で3食付き。「これまで風呂もろくに入れなかった。水もいつ届くか分からないような状態だったから」
移動後、感謝の言葉を口にする避難者は多い。ただ、山田町の30代の男性は移動してから5日目には町に戻った。「じっとしているのがしんどくて。テレビを見るしかなく、やることがなかった」。今は避難所で食器回収などのボランティアをしている。
岩手県は9日までに計5回の移送を予定している。避難所では寒さで体調を崩す人も多く、高齢者らにとって環境の厳しさは否めない。
担当者は「特に高齢者や子ども、健康に不安を抱える人には少しでも条件のいい所に移ってほしい。ふるさとを離れたくない被災者の揺れる心情を十分読み取れなかったのか……」と話す。
静岡大防災総合センターの牛山素行准教授は「大局的には現地から少しでも落ち着いた場所に移すことはいいと思うが、現地に残りたい人を無理やり引き離すことはできない。現地で仕事を再開したい被災者はおり、高齢者でも働きたいと思っている人もいる。避難者を単に『保護の対象』と考えるのではなく、復旧・復興作業に参加してもらうような仕組みを考えることも必要だ」と話している。【有田浩子、三木陽介、熊谷豪、長田舞子、樋岡徹也】
無縁の人から有縁の人へ
中止を中止すること
災害はまだ始まったばかりで、過ぎ去ったわけではない。
先へ行けばもっと悪くなることは分かっているが、どの程度かは分からない。3月末のこれが本当の状況だ。
あらゆる予定が中止や延期に追い込まれているが、本当にそれでいいのか?
先延ばしすれば、もっと悪い状況に追い込まれることは考えられないのか?
予定を前倒ししてでも、こなせるうちに、こなそうという気概はないのだろうか?
この夏のことを言っている。そして、夏というのは、予定された期間を言うのではない。
5月ですら夏日という日があることもあれば、8月ですら涼しい年もある。
先延ばしした予定が、不時の停電に直撃される可能性はたえて考えられないのか?
横並びで人にならえば、やり過ごせる、もはやそんなものはない、そこのところから出発しようではないか?
プロ野球のセリーグが、パリーグにならって開幕日を大幅に先送りした。
世はこぞって賞賛を送っているが、先のことは何も考えていないに等しい無計画がそれほど賞賛に値することなのだろうか?
それとも先のことはすべて予定通りになると確信しているのだろうか?
4月開講の授業が、5月連休明けに延期になるという連絡が私のところに届いた。
このしのぎよい季節を、むざむざ無聊に過ごせという神経が分からない。夏の試練をあえてためそうというのだろうか?
おそらく、夏時間とやらを言い出す輩が現れることだろうが、時計をいじって済ませられるような次元の話ではない。
いっそ、一日の始業を、2、3時間前倒しして朝6時の始業とし、午後の1時か2時には放免されるぐらいの徹底でなければ
今年は持たないだろう。当然、朝の2時、3時に始発電車を動かしてもらい、代わりに終電車は夜の9時、10時までで良いだろう。
そのまま家に帰ってエアコンではせっかくの調整も無意味だから、電車やデパート、図書館、映画館、
公共性があり、人の集まるところは空調を効かせてもらい、日中、家庭やオフィスは極力控えてもらう。
関東中心だが、申し訳なくとも、時間合わせは全国一律に実施しなければ、仕事上不都合に違いない。
暑くなってきてからやろうとしても間に合うまいから、今のうちから予行する必要がある。
不都合を出し切ってから暑くなるのであれば、なんとかこの夏を乗り切れるのではないだろうか。
原発危機の背後にあるもの
福島第一原子力発電所で起こったこと、これを正確になんと言ったらいいのだろう?巨大地震の後の予想をはるかに超えた津波のために、
何重にも備えられていたバックアップ態勢がことごとく無力化され、コントロールを失った。これを単なる事故と言えるだろうか?
運転上の過失から引き起こされたスリーマイルやチェルノブイリの場合とは決定的に異なるものがある。それはどこか?
想定を超える津波に対する対策を怠ったところにある。それはなぜか?
稼動を急ぐために、津波対策より地震対策を優先したからである。
福島の原発は、そっくりそのまま東京の需要を満たすために存在している。
この巨大な大食漢の東京こそが、今回の危機を招いた直接の原因である。
設備の当事者である東電に対して、あらゆる非難が集中しているが、それは妥当だろうか?
少なくとも、ことごとくの都民に東電をそしる資格はない。近郊都民もしかりであり、出身は全国各地であれ、
活動の拠点が東京である、実質都民と言える国会議員に東電を糾弾する資格はない。
東京に集中する、新聞・テレビ、その他のマスメディアもこの框から逃れることは出来ない。
この大飯食らいの東京は、もともとこのように肥大化していたのだろうか?
そうではない。
あの、16年前の阪神大震災の後、首都である東京のあり方について、真剣に議論され、かなり煮詰まったプランさえ出来上がっていた。
その流れを一気に後退させたものは誰か?本当に責めを負わなければならないのはその者たちである。
どのように克服するのか?
地域が地域を支援する仕組みを作ること。
支援する側の地域においては、とりもなおさず、予測される近時の計画停電に対する地域ぐるみの取り組みの強力な対策の母体になる。
最強の、と言ってよい。
支援される側の地域にとっては、相手の見える支援であることが重要である。
お互いに知り合う支援の関係によって、何より継続性が期待できる。
みんながボランティア
地域が地域を支援する仕組みを作るには、みんながボランティアになるのがよい。どういうことだろうか?
地縁が日本を救う
|