エコロジー試論

リサイクラブルとリターナブル

 通常、リターナブルは、リサイクルの一環であると見られています。 これは、まったくの誤りです。表題にリサイクラブルという聞きなれぬ言葉を用いたのは、あえてそこのところをはっきりと区別するためです。リターンリサイクルは、まったく異なるプロセスです。その過程が首尾一貫しているのはリターンであって、リサイクルではありません。前提になっているのはリターンワンウェイ(戻ってこない)の区別です。リターンは、造ったところに戻す、買ったところに返す、完結したプロセスです。ワンウェイは、造りっぱなし、売りっぱなしの完結しないプロセスです。リサイクルは、そのワンウェイの中で考えられたプロセスです。その意味において、リサイクルリターンの不完全な模倣であるといって過言ではありません。リターナブルは、リサイクルの一環ではないのです。転倒した考え方がここまで一般的になったのには何かわけがあるのでしょうか。

 リサイクルと言うと何か万能の響きがあります。リサイクルの一言で問題がすべて片付くような、多分に期待の優ったところがあります。リサイクルには問題がない。問題なのはシステムがまだ不完全なだけだと。わたくしは、リサイクルを否定しているのではありません。リサイクルは限られた領域でのみ可能なシステムであり、その場合でも、完全なシステムではないということをはっきり指摘して、リサイクルをそれが有効な領域で活用するよう仕向けることです。リサイクルが有効な領域とは、リターンが出来ないような状況の場合です。それ以外では、リターンが最も有効なシステムです。さらに言えば、リターンリサイクルもまったく役に立たない領域も存在します。ひとつの方法は、作らない・売らない・買わない・扱わないです。そうは言ってはいられない物も確かに存在します。それが結局、本当のごみになるんですね。老朽化した原子炉を考えるとよいヒントになります。核兵器はどうなんでしょう。

 自然と人間、科学と自然、などと話を広げると話が見えにくくなってしまうので、ぼくが環境について考える時、基本的にどう考えるかを最初に記しておきます。
 「人力は環境に負荷を与えることが最も少ない」というものです。
異論はいろいろあると思います。とどのつまり、すべて人間の行為に始まるのですから、区別はつけ難いとは言えます。それでも、あえて「人力」について見直してみることが、これからの時代を考えるにあたって、ひとつのよい手がかりをあたえると言うことはできます。人間の範囲をどう把握するかは、科学技術をどのように評価し、どのように導いていくかを考えるにあたって、欠かすことのできない前提の作業であると思います。
 こう言う考えがあります。
  • Ⅰ 自然の生存権の問題……人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない。
  • Ⅱ 世代間倫理の問題……現世世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある。
  •    
  • Ⅲ 地球全体主義……地球の生態系は開いた宇宙ではなく閉じた世界である。
  •                     加藤尚武「環境倫理学のすすめ」より
    大局観もよいのですが、「人力」を基点に見ていったほうが分かりやすく、一貫性があります。上記の三者を統べるのは何か、と端的に問うならおのずと答えが導かれます。いずれにせよ、完全な答えを早急に期待するよりは、過渡的な状況の中で、どのような傾向性に対して、どのような方向付けをしていくか、そこのところに力点を置いていきたいと思います。1999年9月8日




    つづく