行動し、考えるためのヒントについて

輪行 遠野~大槌町 2


 西暦2011年、平成23年3月11日に、東北地方太平洋沖で、大規模地震が発生しました。
 そのときから今に至るまでの経過と行動を振り返って、これからからどうするかを突き詰めて考えてみました。
 基本的な考え方は、被災者が生活を再建しようとするとき、食い扶持を稼ぐための雇用が確保されている社会を維持していくためには どうしたらよいのかというところにあります。



11月1日~7日

11月に入って直ぐ、休日を利用して遠野にあるボランティア組織「遠野まごころネット」に参加して、大槌町に入って活動してきました。
遠野まごころネット

1日目: 自治医大駅~東北本線~花巻~遠野
2日目: 遠野(遠野まごころネット)~大槌町~赤浜~遠野(遠野まごころネット)
3日目: 遠野(遠野まごころネット)~大槌町~小槌地区(まごころの郷)~遠野(遠野まごころネット)
4日目: 遠野(遠野まごころネット)~大槌町~小槌地区(まごころの郷)~遠野(遠野まごころネット)
5日目: 遠野(遠野まごころネット)~大槌町~小槌地区(まごころの郷)~遠野(遠野まごころネット)
6日目: 遠野(遠野まごころネット)~大槌町~ロータリー花壇~遠野(遠野まごころネット)
7日目: 遠野(遠野まごころネット)~遠野病院~遠野駅~花巻~東北本線~自治医大駅

宮城・小牛田から岩手・一関の間はのどかな風景が続き、小春日和の日差しの中、記憶の中で
「いい日旅立ちの」のメロディが流れ続けています。


11月3日・4日・5日と大槌町・小槌川の奥にある「まごころの郷」に入りました。「まごころの郷」というのは、
小槌川に沿って仮設住宅が造られ、その一番奥に、長く放置されていた休耕畑をボランティア組織が借り
受け、畑を整備し、交流スペースを設けたところを言います。私は石畳の部分を担当し、2日間で何とか
仕上げました。




11月5日は、交流スペース「まごころの郷」のお披露目会で、仮設住宅の方々と一緒に花壇に球根の
植え付けなどをしました。この日、ここに入ったボランティアのうち半数が東京農大のボランティア、残りが
個人ボランティアです。昨日の最後の仕上げの日は、大阪国際大のボランティアが半数入り、頑張って
何とかこの日を迎えることが出来ました。
お年よりは楽しそうに土いじりをしていますが、家も娘も小さな畑もなくした・・・とポツリとつぶやく言葉は
重いです。写真は朗らかな光景ですが、比較的年若い女性が二人、いきなり抱き合って泣き出した
ことがありました。震災後始めてここで顔を合わせたお友達同士で、「誰ちゃんは死んじゃった。誰ちゃん
も死んじゃった・・・」と泣きじゃくっていたと、他のメンバーに聞きました。
一緒に作業しているお年より同士ももともと知らない同士で、この日のお披露目会を仮設の方や近所の
地元の方に事前に案内しているとき、仮設の方に、「ご近所の方と連れ立って来て下さい」というと、
隣近所誰も知らないと言う答えだったそうです。


右上と左下の写真は、東京農大のメンバーによる「大根踊り」です。本来、来訪者の前で披露する予定
でしたが、時間がなくなってしまい、後片付けのあと、他のボランティアの前で披露してくれました。


今回参加したボランティアの最終日は、大槌町の玄関口、大槌町に入る最初の大きな交差点のそばの
花壇に花苗と球根を植え付けしてきました。



この花植えのチームは、下の写真にあるように、「復耕支援隊」と言い、春の頃から活動しているそうで、
ぼろぼろになった旗がその誇りを象徴しています。右上の菜の花も秋に咲くように夏前に植え付けした
そうで、シーズンごとにずっと花を切らさないようにして来たそうです。


遠野市にある「遠野まごころネット」からは、大槌町、釜石市の半島部、陸前高田市へ毎日ボランティア
が入っています。(大船渡市へも時折) それぞれ車で片道1時間半、往復3時間ほどかかるので、これ
まで山田町へは行っていませんでした。ところが今回、山田町の老人会から、直接(行政などを経由せず)
「遠野まごころネット」に依頼が入り、国交省から老人会に委託されている国道沿いの花壇の瓦礫処理
と整備に力を貸してほしいという要請があったそうです。毎週月曜日は、休養日なのですが、11月7日
月曜日は、特別に数十名の志願者を募ってチームを編成し、山田町に入ることになりました。


上左の写真は、遠野病院から紅葉の山並みを眺めた風景です。今回の遠野行きは、ボランティアをかね
て、2回目の破傷風の予防注射をするのが目的でした。予定では、2日・3日とボランティア活動をして、
4日の金曜日に遠野病院で予防注射を受けたあと、遠野に設置された仮設住宅の状況・経緯を調べた
ら、9月に置いていった自転車のメンテナンスをして、土曜日か日曜日に帰るつもりでした。
ところが、金曜日に、前日手がけた石畳の仕上げのためにボランティアに入ることにしたために、予定が
狂ってしまいました。こうしたことはボランティア活動では異例なことです。ボランティア活動では、いつが
終わりという期限はないので、無理をしないのが大原則です。
実際、帰宅が月曜日になってしまったために、月曜日に入っていた仕事をこなせず、依頼主に迷惑を
おかけしてしまいました。出発後に、Fax にオーダーが入っていたために把握ができなかったのです。
予定通りに帰宅していたら、なにも問題はなかったのですが・・・

ボランティア活動と仕事の兼ね合い。さらに語学の勉強、毎日の、そして週1遍の通学と。
それぞれの軋轢は、これからも自分の中で覚悟しておかなければならないことだと肝に銘じています。
3年前に、2年半母を看護したあと、本格的に仕事に復帰する前に語学の勉強をNHK のラジオ講座を
10ヶ国語すべて聞くところからスタートし、今に至っています。
この春から仕事に注力しようというところで、今回の震災、以来毎日、時々刻々、なにをするかを問い
ながら日を送っています。
生活の再建は、被災者の方々のみならず、自分にとっても大問題です。どのような未来に向かって
歩を進めるかは、福島の出来事ひとつを取ってみても、迂闊には出来ません。

1週間の滞在でしたが、木の葉は一段と色づき、朝夕の冷え込みとともに季節の深まりを感じさせます。
年齢性別を超えたいくたりかの友人を得たのは収穫でした。大槌町の仮設住宅の状況をうかがい知る
ことが出来たのも、少なくありません。ともに生きるということ、普段一人居が多いのですが、前に進む
ところで得られるいくつかの経験は、もう一歩を進めてみようかという勇気にも似た促しを少なからず
与えてくれます。しばらくは、この誘いに乗って歩み進めてみようと思っています。


















戻る