釜石(鵜住居)ドーム&大槌ドーム建設趣意書

 

初めに

 来月にも、貴重な震災遺構であるところの、釜石市鵜住居地区防災センターと大槌町役場が取り壊されようとしています。

ここで言う釜石(鵜住居)ドーム、大槌ドームとは、それぞれの震災遺構を覆い包んで雨風から守り、できる限り現状のまま保存するための施設を意味します。

 

経緯

震災の10日後に石巻市に入ってから、被災地には幾度となく足を運び、遠野まごころネットにはちょうど2年前の9月の今頃初めて参加してから数を重ね、主に大槌町に通ってきました。

この間、 釜石市鵜住居地区防災センターはいつもそのそばを素通りするばかりで、一度も足を踏み入れたことも、また踏み入れようと思ったことすらありませんでした。

この夏、8月20日、雨天のため屋外作業が中止になり、初めて釜石市鵜住居地区防災センターの内外を見学しました。何とも形容しがたい思いを経験しました。

そうこうして一週間の予定を終え、いったん地元の栃木に帰宅し、翌週9月1日に再度、遠野まごころネットを訪れました。この時、私が乗ってきた列車で帰るボランティアを見送りに来たスタッフの方たちと改札口で顔を合わせるという偶然もありました。

9月6日まで活動予定で登録しましたが、何を勘違いしたか、日にちを間違え、5日の夕方のミーティングの際、明日帰りますと言って挨拶しました。そのあと男性用宿泊スペースに戻ると、携帯電話に着信がありました。出てみると、地元栃木の近所のお客さまからの電話でした。今ボランティアで岩手に来ていて、明日夕方には帰宅しますと伝えると、その岩手の実家のお父様の古希の誕生日のお祝いを送ってほしいという依頼でした。翌日打ち合わせを約束して電話を切りました。

翌朝、6時前、前夜のうちにまとめて部屋の外に出していた荷物を抱え、いつも持参している自転車で、遠野まごころネットを後にして、遠野駅に向かいました。遠野駅で自転車を折り畳み、さあカバーをかけて電車に乗り込もうという時になって、その肝心の自転車カバーを遠野まごころネットに忘れてきたことに気づきました。

自転車を携行したことのない方(おそらくほとんどの方々)は知らないと思いますが、自転車は畳んでカバーをかけない限り列車の中に持ち込むことはできません。取りに戻れば電車に遅れ、約束した時間に帰れない可能性があります。荷物の中を探ると、雨がっぱがありました。それで車輪を覆い、ゴミ袋でペダルのあたりの金属部分を覆い、要所要所を紐でくくって何とか梱包して帰宅しました。青春18きっぷの旅で、途中自転車を抱えて8回乗り換え、およそ10時間かけての帰宅でした。帰宅途中、携帯に着信があり、出てみると遠野まごころネットからでした。電車の中で聞き取りづらく、帰ってから連絡すると伝えて切りました。

帰宅してみて、初めて勘違いして日を間違え1日早く帰宅したことに気づき、遠野まごころネットからの電話もそのことだったかと得心がいきました。けれども、日にちを間違えなければお客さまの依頼を受け止めることもできなかったので、結果的に良かったと思いました。その夕方、無事お客さまと打ち合わせることができ、そのお届け先を尋ねると、北上市の駅の直近の某ホテルというのが、その方のご実家だということでした。

9月10日が使用期限の青春18きっぷが残り3回分(3日分)あり、それを利用して、車中でロベルト・ボラーニョという作家の「2666」という大部の作品を読破するのが目的の旅で、行先は構わない、10日まで電車旅行しようと思っていたので、行先はどこでもよい。それなら、遠野まごころネットに自転車カバーを取りに戻るついでに、途中、北上市のそのホテルに立ち寄り古希のお祝いをお届けしても良いかと思い、宅配便で発送するのではなく直接お届けしても良いかとお客さまに尋ねると、もちろん良いということでした。

9月7日、こうして今回は自転車ではなく、お誕生日祝いを携行して岩手に向かいました。そのあと無事そのホテルにたどり着き、お客様のご両親にご挨拶して遠野まごころネットにたどり着いたのは夜中でした。自転車カバーは、長靴を置いていた場所のすぐそばにそのまま残されていて、無事回収できました。

9月8日朝、事務局に断りを入れて、そのまま旅を続けようかとも思ったのですが、活動費が1日分余っているとのことなので、若干ずれるけれども今日一日活動すればちょうどいいかと思い、就労支援センターの開所式の手伝いに参加しました。現地に向かう車中の語らいの中で、一緒に乗り合わせた方、学生の付き添いで来られた教師の方が、10年近く前に急逝した先輩かつ大の友人の従妹に当たる方だと聞いて、驚きました。その交友は深かったので、ほとんど忘れかかっていたせいもあり、ショックにも近い感慨に襲われました。作業後の帰還は、学生の方々に震災遺構の案内をするということで、異例のことですが乗員の乗り換えがあり、何度も訪れた経験のあるものは震災遺構を回らずに先に帰還することになりました。

翌朝9月9日朝、起床合図前に起き出して始発に間に合うように出ようと思っていたのですが、なんとも疲れて起き上がれず、出だすのが遅れてしまいました。こんなことはこの夏、遠野まごころネットに来て初めてのことです。それでも2番目の電車に間に合いこの夏の最後の旅を再開しました。まず、釜石線で盛岡に向かい、山田線で宮古に向かおうと思ったのですが、待ち時間があったので、盛岡市内の循環バスで、左右それぞれ一巡りしました。ようやく山田線に乗り換えて読書タイム、旅のスタートです。

宮古に着く寸前、並走する電車があり、地図も時刻表も持たない旅なので、渡りに船と、その電車に乗り継ぐことにしました。三陸鉄道北リアス線の南側部分、宮古から小本まで750円の硬券を購入しました。小本で接続バスに乗り換え380円、田野畑駅に着きます。1時間余りの待ち時間の後、久慈まで960円、朝のテレビ小説の舞台ともなっている地だとのことで、途中アナウンスによる解説や、徐行、停車などして見どころスポットを案内していました。近くにいた客が、「満足満足」と語っているのを耳にして、思わず笑ってしまいました。

久慈からどうしようと思っていたら、そこからはJRで、八戸行がすぐに出るということで迷わず乗り込みました。出発するとすぐに山中に入り込みます。少し眺望が開けたかと思うと、そこは山また山の山並みが広がります。これほど人気(ひとけ)のない山塊を行く列車は初めて経験したように思います。そうこうするうちに日も暮れ、乗車する人も増えてきて、八戸に近いのかと思い、ちょうど向かい合わせに座った女の子たちに、終点まであと何駅ですか、と尋ねると、知らないという答えでした。追いかけるように車内アナウンスがあり、次が終点八戸です、と聞こえてきました。すると、それを聞いた女の子たちが、えっ、知らない、ここどこと騒ぎ出します。車外を見まわして、来たことない、見たことない、どこどこ、と口々に叫んでいます。携帯を取り出して、お母さんに掛ける、と言っていますが、停車時の喧騒もあり、要領を得ないようです。そこは先頭車両運転席に近く、とりあえず一緒に降りて、運転席に居合わせた車掌さんに、この子たち、乗る車両を間違えたようです。よろしくお願いします、と伝えて、その場を離れました。

八戸駅に降り立つのは、たぶん初めてです。乗車券は青春18きっぷ、ここからは青い森鉄道。途方に暮れていると、路線図に大湊の方がJRと表示してあります。そこで思い切って、窓口に向かって、青春18きっぷで旅行しているのですが、大湊まで行くのに、青い森鉄道はいくらの切符を購入すればいいのですか、と尋ねると、すかさず、青春18きっぷなら無料です、という返答がありました。途中下車せず、通過するだけなら無料で通過できるというようにいつの間にか変更になったようです。

これ幸いと大湊行に乗車、大湊着20時59分。日もとっぷりと暮れ、降車する人も2,3人。地図もなければ、駅の外は真っ暗闇、とりあえず明日の始発からのルートを決めようと、駅に備え付けの時刻表を繙いて青森までの時間を確認します。外へ出てみると、商店はすべて閉じていて、通りは夜間の舗装工事中。終着駅の港町でも潮の香りはみじんもなく、あたり一帯アスファルト臭が立ち込めています。これが今日一日の行程を終えた者を迎える風情。前日までの雨模様の天気から解放されているのが何よりの僥倖です。コンビニで食べ物を調達するついでに海の方角を確認して、岸壁にたどり着きました。

いくらかの星は見えても、夜間の冷え込みは感じません。風も微風と言っていいくらいの感触。鏡のようとまでは言えませんが、どこまでも穏やかな水面です。カップ1個、缶詰ひとつ、冷奴小パック。夜食はこれで足りました。

車両の音で目が覚めました。夜はまだ明けていません。寝足りたという感じは全くしませんが、昨日までの、こびりつき纏いつくような疲れがすっかり消え去って、ここしばらくない身軽さです。そう言えばここは下北の地、恐山は麓の海際、一夜のうちに三陸からの慰霊と鎮魂がかなったのかもしれません。

大湊始発5時13分、野辺地を経て青森へ向かいました。青森からは、2年前の夏に秋田から青森までを乗ったリゾートしらかみという列車を逆に乗ってみようと思い、予約を入れるとすぐに指定席が取れました。三陸の深い爪痕の残る海岸風景とは打って変わった日本海側の風景を眺めているうちに、タイトルにした言葉、釜石(鵜住居)ドーム&大槌ドームというフレーズが心に浮かんできました。

震災遺構を取り壊して見えなくするのではなく、包んで守る。お包みして、しかも隠すのではなく、包み隠さぬようにすること、それは出来ることではないか、ということです。

そして、このことが、見たくない、早く壊して、という思いと、ずっと残して、壊さないで、という思いとの接点になるのではないか、そうしていかなければならないという思いが募ってきました。

今回の私のこの旅は、観光ではなくひとつの巡礼、大湊での一夜は慰霊と鎮魂であると同時に、すぐれて招魂の一夜であったのではないかと思いました。

ご遺族の方々のご意見は様々であるのでしょうが、非業の最期を遂げざるを得なかった方々の思いは、いま私のうちに去来する思いといっそう近いのではないか、そのように思います。

まだ若く、幼いと言っていいころ綴った愚作の詩に、「感受において無垢であり、表現において不具である、ただそれだけの者のために記している」という一節があり、ことに触れて反芻してきました。

さしたる能力もなくただ馬齢を重ねてきただけの身に過ぎないのですが、感受性と行動力はわが天分、地上の職はどうあれ、言霊の連なりを拾うのがわが天職と心得て、多く無聊の時をしのいできました。

このような来歴の者から見て、今回の震災遺構に対する、亡くなられた方々の御霊の意向は、包んで守る、お包して、しかも包み隠さぬようにする、そこのところあたりににあるように思います。

 

提言

とにもかくにも破壊を止め、ご遺族の方々の接点を見いだせるような保存の仕方を、広く人々の賛助を募って実現すること。

昨日の今日の着想なので具体的にはまだどうこう言えませんが、震災遺構を雨風から守るドームの建設、見たくないと思いつめられている方々にとってもいっそう鎮魂となるドームの建設を提案したいと思います。

 

                         2013年09月11日

                                        内木 誠