1970年11月、岩波書店刊行の雑誌「思想」の巻頭に それは掲載されていました。ほかの論文とは格段に異なる 響きを持って、それは語り出されていました。語り出す、とは、 森さんに固有のトーンなのですが、そのとき初めて出会った、 今にして思えば、まだ少年と言っていいほどの自分にとって、 このように「思想」について言葉に出すことが出来るということは、 実に新鮮なものがありました。この新鮮な驚きは、何度読み返しても 消えぬものが森さんの文章にはずっと付きまとってあります。 そしてそのような物言いが、今の、ぼくを含めて、多くの、 というより、ほとんどすべての人に、わずらわしさの 印象でもって受け取られかねないことも、今では充分に承知しています。 なんと言ったらいいのでしょう。暮らしが良くなるということは、 ある意味で、きつい暮らしに、こらえ性がなくなることを意味しています。 ほとんど致命的といってよい境遇にわたくしたちはいます。 平和であり、程度の差はあれ、そこそこに裕福である、 何一つあえて言うべきことはない、そして、確実に、 微々たる程度ですが、退廃は進行しています。 だれひとり押しとどめることのできない流れの中で、 そこにおける魂が、良くなるのではなくて、 ごく徐々にではあっても、悪くなっていくのだということに気付くのは、 それ自体退廃でなくて何と言えましょう。アメニティamenityの中で、 思うことすら、うまくやっていくこと以上にどんな意味を持つでしょうか。   1999/06/25
(つづく)

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