ここは、星に住む家です。

星に住む家では

これまでのぼくの仕事

そして

これからのぼくの仕事

について
ご紹介します。

ぼくの仕事、
と申しましても、
それで身過ぎ世過ぎをしている、
そういう仕事ではございません。
なんと申せば良いのでしょう。
力込めて言うなら、
いま、なにをしているのか、と問われて、
ただちに、ためらいなく、
このとおりです、
と申し上げることの出来るような仕事です。
ものごころついたころより
今にいたるまで、
このように過ごしてきました。
そこのところをごらんください。
そのように申し上げる仕事です。

 まず、星に住む家という名前の由来についてお話します。 話はどこまでさかのぼりましょうか。ぼくがまだ、十代の ころ、今から30年ほど前のことです。森有正という方に 出会いました。最初は、書物にて、それから、その方が講 義しているという学校に入りました。その学校で、森さん (こう呼ばせていただきます)は、一年三月期のうち、秋の 一学期間しか教えていませんでした。戦後、まもなく渡仏 して以来、仕事の本拠をフランスのパリに置いていたから です。当時は、どう言ったらいいのでしょう、とても混乱 していました。戦中・戦後にたとえて言えば、戦時中は、 皇国日本の命運をかけての戦いでした。戦後は、一転して アメリカン・デモクラシーの横溢するところとなり、それは、 そのまま今にいたっています。いずれにせよ、社会の 基本原理は明確であり、そこのところでの動揺はまったく ありません。けれども、あのころは唯一違っていたのです。 戦後の日本が範とするアメリカそのものが大きく揺らいで いたのです。当時、その世代に属していた若者にとっては、 一種の、内乱状態にあったと言って過言ではない状況でし た。今にして思うと、稀有な状況にありました。平和は、 保証されていました。平和を守るために、あるいは、保つ ために、ことさらに何もしなくても良いのでした。すると、 コップの中の嵐とでも言うべきでしようか。そうかもしれ ません。けれども、その嵐のために人が殺されることも あったのです。その時代を若者としてどう生きるべきか、 今も鮮やかにそのときの思いがよみがえってきます。こう して、ひとつの世代が、ほかの世代と置き換えられぬ形で 形成されていくのでしょう。その時代を痛く思い出します。 今よりもきっと、傷つけあっていました。むしろ、傷つき あっていた、と言うべきかもしれません。わたしたちは、 刃よりも柔らかな皮膚を持っています。そして、しばしば、 刃物より鋭い心を持っています。私たちは、愛に餓えていた のではありません。愛することに、とても不慣れだったのです。
(つづく)

これまでの仕事
「森有正ノート」
「牧野虚太郎」について
「詩編」
「直感における透明と純潔」
ほか

これからの仕事
「愛の発生と天体」
「深さについて」
「方法としての森有正」








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